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幸いに語学の方は怪しいにせよ、どうかこうかお茶を濁して行かれるから、その日その日はまあ無事にすんでいましたが、腹の中はつねに空虚でした。
空虚ならいっそ思い切りがよかったかも知れませんが、何だか不愉快な煮えきらない漠然たるものが、至る所に潜んでいるようでたまらないのです。
三十前後のSは、どこを向いてもどれが自分の本領かわからない、漠然とした空虚感の中に陥っていたというわけだ。
不愉快の極みだろう。
もともとSは、「教育者として偉くなりうるような資格は私に最初から欠けていた」と感じ、教師であった自分を「まあ肴屋が菓子屋へ手伝いに行ったようなもの」と評している。
これほど正直に胸の内を明かしているのには驚く。
Sというのは、私たちが持っているH不愉快な体験をパワーに変えるパッション力印象よりずっとさばけていた人だったのだろう。
実際には、Sは本人が言うほど教育者としての素養がなかったわけではないと、私は思っている。
「木曜会」というものを主宰して、自分の家に若い人を毎週招いては、そこを才気焼発な談論風発の場にして、若手を育てるといった活動もしている。
一文のお金になるわけでもないのに、家庭に不和を巻き起こしながらも続けていた。
そのタフな精神というのは、日本を教育するのだという強い気概に支えられていたに違いない。
教室で授業するという小さなスケールには合わなかったかもしれないが、彼は本質的には教育者だったのではないだろうか。
Sは苦悩する。
私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しもすく見当がつかない。
私はちょうど霧の中に閉じこめられた孤独の人間のように立ってしまったのです。
Sは大きな志を持っていた。
どういう形で社会に接続してよいかがわからなかった。
自分は英文学者として終わるのか、それとも一歩踏み出して自分自身が文学というものをつくり出す側に行くのか。
そこには大きな溝がある。
「文学者」というと作家と文学研究者の両方の意味を含んでいるから、普通の人は何となく一緒に見てしまっているかもしれない。
だが、研究者から実作者になるというのは、実際まるで違うことだ。
一言ってみれば大きな川、Sにとってのいわばルビコン川を渡るようなものなのだ。
ここには大きな転換があった。
腹が決まったときからSは爆発した。
その決意がなければ、Sは英文学者で終わったかもしれない。
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